「観る瞑想」#3 ~ご神木~

日本の文化の中には、マインドフルネスに生きることができる仕組みが随所に散りばめられている。瞬間、瞬間を丁寧に感じること、瞬間の連続である時をマインドフルネスに捉え、修正する方法も仏教の中でも開発されている。マインドフルネスという新しい光で、私たちの伝統を捉えなおすとより、日本人の私たちはマインドフルに人生とつながり、新しい可能性と出会うことができるのではないだろうか。
目次

お正月

 新年明けましておめでとうございます。本年が皆様にとって良き一年になりますように心よりお祈り申し上げます。また、ブログを読んでいただき、本当にありがとうございます。

 お正月の仏教的な言われについて学びました。「正月は、修正の月 新しい年に向かい目盛りを正すこと」(禅の友一月号 2025年 曹洞宗宗務局より)

 正月という字は、「一」を「止める」と書きます。今までの人生を「一切止めて」振り返り、見つめなおす月という意味もあるそうです。

 例えば、元旦に「今年はこんな風に生きていこう。」と定めた意図も、環境が変わり、時間が過ぎていくと変化してくることもあります。そこで、立ち止まり、修正をする月、「止まって見つめなおす月」という意味です。

 以前、お伝えしたマインドフルネスのプラクティスの中の「STOP」と同じ…。1年という日々の流れの中で、お正月を大きな「STOPする節目」とも捉えることができます。

STOP   ①していることを止めてストップする  ②一呼吸してみる 
  ③状況を3つのレンズで観察してみる(3つのレンズ=思い・考え、感情、身体感覚) ④選択し、進む

新たに出発する

 家の近くに凛とした佇まいの創建西暦390年の古い神社があります。境内には直径が1メートル以上の樹齢500年以上のご神木があります。年の初めに、姿勢を正し、呼吸を意識しながらご神木を観させていただきました

 肌は荒い樹皮で覆われています。樹皮にはところどころに苔が生え、ひび割れ、所々はげ落ちたりしています。表面は痛々しい感じがしましたが、内側には何か流れるようなものも感じられるような気がしました。

 私の中に様々な思いや考え、感情がやってきます。この木は、どのくらい生きているのだろうか?500年の間にはいろいろなことがあっただろうなあ。木も植えられた時は小さかっただろう。植えた人はどんな人だったのかしら?時代の移り変わる中で、人々の苦しみの元である戦争や飢饉も経験したのかもしれない、それぞれの時代の人々の初詣や七五三のお参り、お祭り、笑い声や歓声…。

 こんなに皮がはげ落ちているのは、自然環境の変化も大きかっただろう。特にここ数年の長く厳しい猛暑、大雨など…。何も言わず、よく耐えて生き抜いてきたなあ…。少し離れたところには、祠があり、同じぐらいの太さの切られてたご神木が祭られています。何か事情があったのでしょう…。

 長い年月の中で、変わるものもあれば、変わらないものもあったかもしれない…。

 少し離れてみると、大地に根差した太い根が何本も見えます。この根で大地にしっかりと根付き、大地もまたこの大木を支えている…。そっと地面に触れてみると、冬の土の冷たさと伸ばした手にあたっている柔らかな暖かい太陽の光に気が付きました。

 しばらくその暖かい光の中で、呼吸をしながら土の感覚を感じていると、「ああ、私も生きている。」と何だか、木や土と同じになり、自然の中の一部分に溶けているかのように感じました。また、同時に何か私の中に澱のように溜まったものがスッーと大地に吸い取られて浄化されているようにも感じました。

 太陽と大地の中で威風堂々と生き抜いている大きな木。きっと奇跡のような瞬間、瞬間を掻い潜りながら生き抜いてきたのだろうなあ…。

 再び立ち上がり、呼吸をしながらご神木全体を眺め、その堂々とした姿や枝に小鳥をとまらせているやさし気な様子などを心にとどめました。合掌。
 私もこんなふうにしっかりと大地に根ざして生きていきたい。

 家の着くと、元旦に願ったこともすでに少しずれてきていた私。でも、「まだお正月期間!修正できる!」と思いながら、今年も瞬間瞬間をできるだけマインドフルに生きたいと思っています。

 皆様のこの一年が、健康でさらにすばらしい年になりますように心からお祈りしております。

 そして、今年も生活の中に活かせるマインドフルネスを届けていきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次