食べる瞑想と五観の偈
マインドフルネスのプラクティスの中には「食べる瞑想」というものがあります。ふだん知っている食べ物を食べるのですが、あたかも初めてその食べ物に出会ったかのように、食べ物であるかもわからないという前提で、まず、それを目で観察します。それから鼻で匂いをかぎ、何か音がしないか耳に近づけます。また唇で感触を確かめ、ゆっくりと口の中に入れてみます。舌の先で転がしたり、様々な感触を感じてみます。そして、その時の思いや考え、感情、身体感覚や身体の変化を観察します。すると自分の様々な思いや考え、感情、身体感覚に気が付きます。
日常の中でも、短い時間でも継続して行っていると、ある時、フッと自分の中で、心身が本当においしく感じるものとそうでないものがある事に気づきました。そのきっかけは、参禅会が終わった後に、和尚さんが畑で作られた野菜を分けてくださるのですが、その野菜たちの本当に美味しいこと、何かが決定的に違うように感じました。少し虫食いがあったり、まっすぐではないけれども、瑞々しく、甘く、嚙んだ時は、はじける音や感触が歯や口の中に広がります。 そして、野菜が野菜としてそこにあり、そのエネルギーが私の身体の中に沁みとおってきます。
少し皮がしわがれるまで待ったさやえんどうの濃い緑の実、ぎゅうぎゅうに詰まった実の滋味深い味わい、夏の太陽をいっぱい吸い込んだ甘いトマト、凍り付くような冬の寒さの中、透き通るようなみずみずしさをその身に宿した大根など、太陽と土と空気、雨、風とその種子が宿す命が織りなすシンフォニーのような野菜たち。
「私、今まで何を食べていたんだろう?」と感じました。こんなに私の体にとって美味しいと感じる野菜はどうしたらできるのかしら? もし自分で作れるんだったら、私も作ってみたい!本当に身体にいいものを取り入れたい、自分の中に…。」こんな素朴な思いがきっかけで、和尚さんや周りの方々に野菜作りを教えていただき1年が経ちました。
それらの野菜を口に入れる時、がんばった自分への贈り物、手伝ってくれた方々への感謝、恵みをくれた自然への感謝が自然に湧いてきます。しばらくして、食べる瞑想のガイドをしている時に「五観の偈」が影響を与えているのかしらと感じました。
「五観の偈(げ)」(食事訓)
一には功の多少を計り、彼の来所を量る。
二には、己が徳行の全欠を(と)忖って供に応ず。
三には心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
四には正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。
五つには成道の為の故に、今此の食を受く。
- この食事がここに来るまで、いかに多くの人々の手数や苦労があったかに思いを巡らせます。
- この食事をいただくに値するほどの正しいふるまいや、世のため人のために役立つような行いをしているかどうか、自分自身の行いを振り返ります。
- 心の過ちを止めるため、貪りの良くなどを見極め、修養の心を持っていただきます。
- ただ空腹を満たすということではなく、健康と生命を支えるための「良い薬」としてこの食事をいただきます。
- 人間として正しく生きるために、今この食事をいただきます。
「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」道元 禅の友 2024年6月号より
「五つの黙想」(食前の言葉)
- この食事は、天と地、あらゆる生き物、多くの人の働きによる恵みであることを思います
- これらを食べるだけの価値あることをしたのかを振り返り、感謝をしながら、心をこめていただきます。
- 貪らないように注意をし、ほどほどの量で満足します。
- 生きているものがなるべく苦しまないように、この地球を守れるように、温暖化が進まないように食事をすることで、生命あるものへの思いやりを育みます。
- お互いの親睦を深め、コミュニティの絆を強め、あらゆる生き物の役に立つという理想を育むために、この食べ物をいただきます。
「私と世界を幸福で満たす食べ方・生き方」テック・ナット・ハン リリアン・チェン 大賀秀史(訳) サンガ