マインドフルネス ~3つのレンズで自分自身を観る~

マインドフルネスを養うことは、芸術を生み出すときの創造性と深いかかわりがある可能性がある。また、創作活動を支える心の態度はマインドフルネス瞑想時の態度が非常に役立つ。
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Full Catastrophe Living 「厄介事だらけの私たちの人生」

 皆さんご存じの「マインドフルネスストレス低減法」J.カバットジン 春木豊訳 北大路書房の原題です。J.カバットジンさんは、ご自分が興味を持って探求されていた瞑想が、当時、ご自分に関わりのあった病院で病気を治療しているものの、希望を持てなくなっている人たちに何か役に立つのではないかと仲間数人と1979年にこのプログラムを作られたそうです。それから45年、このプログラムは全世界に広がりました。

 私たちは生きていると多くの「厄介事」に出会います。すなわち、「あってほしくないもの」、「ストレス」であり、「苦」であり、時に「人生の大惨事」とも表現できると思います。

 病気もその一つです。暑い、寒い等から地震や台風などの自然環境、生活音、交通渋滞や隣人とのコミュニケーションなどの生活環境、家庭や職場での人間関係、自分自身の性格、自分も含む人や周りの生き物の生、老、病、死など、実は、私たちの人生は「大惨事がいっぱいの人生」です。

「I to EYE  塩田千春 つながる私」展

 先日、大阪中之島美術館で開催されている塩田千春さんの「CHIHARU SHIOTA I to EYE 塩田千春 つながる私」展へ行ってきました。現代美術は、難解で分かりにくいと思っていた私ですが、その作品群の圧倒的に迫ってくるような迫力、そしてその創造の源にマインドフルネスを感じさせる展覧会でした。

 同時に、この展覧会は、「死と再生とつながり」がテーマになっているように感じました。数々の真っ赤なインスタレーション(装置、設備の意)は、生命のエネルギーを現わしているようでもあり、次のスペースの回る白いドレスは、死を、そして、3つ目のスペースの無数の赤い糸につながれている白い紙はまるで息づく一人ひとりの心身の現れのようでもあり、人の思いの集合的顕在意識のようでもありました。

 また、その会場の壁には、今まで経験された人生の瞬間、瞬間の場面がびっしりと並べられており、その一枚一枚の絵は確かにその瞬間の思いや考え、感情の展開を意識していたのだというように赤い糸が通されていました。

 赤い糸は、身体感覚の血液の暖かさや循環する感じのようにも感じました。 

 それは、あたかも瞑想中に現れてくる一続きの思いや考えや感情が湧き出ているのを見ているようでもありました。まさに、自分の内部に目を向けて観察しておられる…、I to EYEだなあと感じました。

  館内のご自身について語られているフィルムの中で、その当時のお父様の死やご自身の病気とその治療時の経験を語られていました。ああ、この方もまた、人生のある時期に思いもよらず、死がその身をかすっていかれたのだなあと感じました。

 「病気という大惨事」は、ときに私たちを否応なく、生と死の狭間で覚醒させます。心は、嵐の中にいるように激しく揺れ動きます。そのような自分を芸術という「アンカー」で繋ぎ止め、自分自身とその周りを3つの覚醒したレンズ(思いや考え、感情、身体感覚)を通して観察されておられたのだと感じました。

 私は、芸術家が自分の創造性を大きくいかんなく発揮する時、対象への向き合い方は、覚醒した3つのレンズでその対象をするどく、そして時に優しく受け入れ、観察しているように感じました。

 塩田さんの作品展は、私に様々な気づきとエネルギーとつながりを与えてくれました。

 みなさんにもぜひ観に行っていただきたい展覧会でした。

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