お遍路の旅
四国霊場八十八か所のお遍路は、日本でもっとも有名な巡礼の1つです。これは、弘法大師(空海)の1,200kmにも及ぶ足跡をたどる旅でもあります。
この旅路は、四国を4つのエリアに分けます。
徳島県(阿波)を発心の道場、高知県(土佐)を修行の道場、愛媛県(伊予)を菩提の道場、香川県(讃岐)を涅槃の道場と呼んでいます。
最近はお遍路の旅も様々なスタイルがあり、昔ながらの歩き遍路、車やバイク、自転車で廻る、団体バスツアーで効率よく廻るなどの方法があるようです。
お遍路の目的も、昔は、信仰、修行、世界平和、病気平癒、家内安全、先祖の供養等が主なものでしたが、最近は自己と向き合うことであったり、心の癒しや人生の節目、再スタートに向けて等、様々な目的があるようです。
私がまだ、小学生だったころ、真言宗の熱心な宗徒である祖母が「お遍路に行く」ととても嬉しそうに準備していたのを思い出します。祖母は、四国の川之江の出身で、生まれ故郷の「三角寺の石段がとても大変だったけれど、本当に美しかった。」と語っていました。
苦労の多い人生だったので、特別な思いがあったのでしょう。私も祖母の年に近くなると、まるで私の中の遺伝子に目覚めたように「祖母が話していたお遍路さんに行きたい。」と思うようになりました。
心に残る風景
八十八寺、どれも本当に興味深く歴史のあるお寺でしたが、特に私が印象深く感じたのは、第21番札所の太龍寺、第24番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)、そして、第65番札所の三角寺でした。
発心の道場の中の太龍寺は、昔から「遍路ころがし」と呼ばれ、難所中の難所です。私たちは、ロープウェイで登りました。登っていく車窓からは、舎心ヶ嶽で修行をしている空海さんが見えました。(お像です。)山の上で海を見ながら瞑想しているお姿でした。私には、今この瞬間に生きている空海さんがそこにおられるように感じました。「西の高野山」とも言われる太龍寺は、広大な伽藍、本堂、太子堂、多宝塔があり、ご本尊の「虚空菩薩像」は空海さんが彫ったものと言われています。
最御崎寺(ほつみさきじ)は、太平洋の荒波が襲い掛かるような室戸岬の突端にあります。よく台風の実況中継場所になったりしているところで有名です。空海さんは、この場所にある「御厨人窟(ミクロド)」で、虚空蔵求聞持法の修業をされたそうです。目の前に広がる広大な太平洋を前に、瞑想していた空海さんの口の中に金星が飛び込んできて宇宙と一体になった体験をしたそうです。
このお話は、「人間がある瞬間に真理を深く理解し、自らの使命に目覚めるというとても深い哲学的、宗教的な意味がある。」と言われています。
そして、とうとう三角寺に来ました。早朝のお寺は、透明感あふれる精妙な空気で満たされており、鳥の声が聞こえ、今まさに桜と椿などの春の花々が満開でした。お寺の奥にはお地蔵さまが佇んでおられます。
私は、心の中で、「おばあちゃん、私も来たよ。」と今は亡き祖母に語りかけました。しばらく目をつむり、体の感覚、思い・考え、感情に意識を向けました。朝靄が少し残り、肌には水蒸気が感じられます。木々の香り、鳥の声、砂砂利の音が聞こえます。
「苦労の多い人生の中で、祖母は何を思い、そして、ここに来たのだろう?おばあちゃん、私もやっとここに来ることができたよ。」と祖母に語りかけると、私のお腹や胸、目のあたりに暖かいものが感じられました。
「本当に今まで生きていてよかった、ここに来ることができた。」という思いとともに、自然と涙があふれてきました。
そして、祖母が私に優しく接してくれたことが走馬灯のように思い出されました。
祖母、祖父、母、父、叔母、叔父、親戚の人たち…。私の近くにいてくれた人たち…。
「今、私がここにこうしていられるのは、私にやさしく接してくれた多くの人のおかげ…。」
「ああ、やさしさだけが人の心に残り、命をつなぎ、そして、心に蘇ってくる…。kindness….。」
kindness~優しさ、親切、そして絆~
マインドフルネスの実践では、「自分に優しさを向けて…」とよく言われます。私は、この「やさしさ、親切=kindness」がなぜかとても表面的な、そして教条的な感じがしていました。
三角寺でこの暖かい心に残る体験をした後、英語のkinは、元々は、「絆、血縁」を表すこと思い出しました。
「親族や家族、絆」は、私たちが他者と深く結びついている根源的な感覚を呼び覚まします。
kindnessは単なる「親切な、やさしい」ではなく、深いつながりを感じる思いから生れ出るものだということ…。
自分と他者との絆を感じ、その絆を育むための行動が生まれ、そして、そこからまたやさしさや思いやりが現れ、繋がっていく…。
深い絆の中で命の流れを感じるとき、私は、その命の流れの中に存在していること、そしてその命はほかの命と共鳴して生まれ、育まれてきたこと。
この私の命が繋がっているということは、様々な人のやさしさの繋がりや広がりがあったからこその奇跡かもしれない。
お互いが切り離されて、独立してあるのではない存在の仕方…。私たちは、大きなつながりの中の一部であり、次元を超えて深くつながっている…。
お遍路の旅の伊予の国(愛媛県)は「菩提の道場」と言われています。私のルーツの地で、このような感じたことは、何か暖かく祖先の方々に見守られているかのように感じ、今を生きることができていることに感謝の気持ちが溢れました。