映画「ちゃわんやのはなし」~四百年の旅人~
「ちゃわんやのはなし」という映画を観ました。解説によると、“遡ること420年前、豊臣秀吉の2度目の朝鮮出兵の帰国の際に、主に西日本の大名たちは、朝鮮人陶工を日本に連れ帰った。薩摩焼、萩焼、上野焼などは朝鮮をルーツに持ち、今もなお伝統を受けついでいる。” 映画は、十五代沈壽官さんを中心に沈家の歴史、アイデンティティの葛藤、薩摩焼の世界への広がり、これからの薩摩焼についてドキュメンタリータッチで描かれています。私は鹿児島に行ったときに、十五代沈壽官さんにお話を幸運にもを伺うことができた時のことを思い出しました。
若い頃から、沈壽官窯で焼かれた数々の作品の心に沁み透るような乳白色の暖かさ、繊細さ、精巧さ、そして高貴な優美さには心が震えるような感動を覚えていました。このような芸術作品たちは、いったい、どのような人がどんな所で作っているのだろう、いつかこの目で確かめたいものだと思っていました。
1年前に、やっと念願の鹿児島に行くことができました。多くの由緒ある窯元の集まる美山地区。その中の沈壽官窯。入り口を入り、導かれるように歩いていくと、そこには苔むした祠があり、居住まいを正さなければならないような神聖な静謐さを感じる場所に出ました。そして、お寺のような工房がその前にあり、若い男女が凛としたたたずまいで、一心に作品を制作しておられました。
少し細い道を下っていくと膨大な数の作品が粉々に割られて一角に敷き詰められている場所がありました。一瞬、ギョッとしました。お茶碗の墓場…、という言葉が心に浮かびました。どれだけのお茶碗が焼かれては割られてきたのだろう…。焼かれては割られ、焼かれては割られ…。気の遠くなるような繰り返し。この累々とした割られたお茶碗の中からあの見事な作品たちが生み出されてきたのだ…。そして、そのためにはどれだけの忍耐が費やされ、どれだけの時間が流れたのだろうか…。
さらに降りていくとテレビで見たあの登り窯が現れました。ああ、この窯で数々の美しい作品が生み出されたのかと…。感無量でした。縦からも横からも斜めから透かしても見ました。近くのには焚き木が積んであります。
お昼を敷地内の茶寮でいただき、ブラブラと歩いていると、十五代沈壽官さんに出会いました。驚きました。ご本人にお会いできるとは!!!
茶寮でいただいたお料理もとても美味しかったのでお礼を伝えると、「関西にもおいしいもんいっぱいあるでしょう。」と笑いながらお話され、なんとお住まいの方のお部屋も案内してくださるこのことでした。いろいろなお部屋の歴史やしつらえ、置いてあるお道具について丁寧に説明してくださりました。やはり、美しいものは美しい環境が作り出すのだなあと感じました。その空間はまるで時間が止まったかのような空間であり、小松帯刀が作った琵琶など歴史上の人物が作った美しい作品が詰まった宝石箱のようなお部屋でした。
時空を超えて
鹿児島にある、世界文化遺産の薩摩藩島津家別邸「仙厳園」にある大きな美しい大きな壺のお話になりました。仙厳園には大きな美しい薩摩焼の壺がペアで並んでいます。それらは、現在の島津家より依頼を受けた十五代沈壽官さんが大変なご苦労の末に再現されたものあること、その再現のきっかけとなった不思議な埃をかぶった行李のお話やら、元の大壺は十二代沈壽官さんが作成され、島津忠義公より帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の戴冠式に送られたものだそうで、今は一つがエルミタージュ美術館が所蔵されている等、軽々と時代と場所を超えるお話で驚いてしまいました。
私は、十五代沈壽官さんがどのようなお気持ちで焼き物に向かい合って焼いておられるのか聞いてみたくなりました。失礼かとは思いましたが尋ねますと「900度までは前準備、900~1200度までは死にそうなほどの努力、1200度から1280度まで温度を上げるのはとても難しく、経験しかない。」との事でした。映画を見れば、火の中に身を投じて薪をくべておられるのを見ました。「死にそうなほどの努力」…。本当に常人では命が持たないだろうと感じました。
私は、「その80度上げる時、どのようなことを考えて、焼いておられるのでしょうか?」と聞くと、「正直、疲れ果てますので、やることをやったと後は、空を見て月や星と話をしています。」とお話しくださいました。月や星と話す…。
私は、「ああ、空の月や星は、きっとあの美しい数々の作品を世に生み出すためにお手伝しているんじゃないかしら?だからあの人知を超えた美しい作品ができるのだ…。」と感じました。
また、お話の中で、薩摩の人々に対して、本当に感謝しているともおっしゃっていました。(私は、この時心の中で、400年前にご先祖がこの地に理不尽にも来られた状況をどのように受け止めておられるのだろう、でもこのように受け止めておられるということは…。このことについては、その後、映画で沈家の「家」としての葛藤と十五代沈壽官さん「個人」の生々しい、まるで血を吐くような苦しい葛藤が描かれており、私は初めて理解することが出来ました。)
世界のあらゆる人の心を打つ圧倒的に美しい作品を生み出してきたのは、悲しみと怒り、葛藤といくばくかの癒し、自分が何者なのかを命を懸けて問い続けてきた沈家の人々と、薩摩の人々、空気、土、水、木、そして祖先の地から運んでこられた「火」、そして、太陽、月や星等の宇宙がこの地球上の一瞬に奇跡的に出会い、つながり、そして、美しい作品に結実していく…そんなことを考えました。
そして、また登り窯を通り、お茶碗の破片で埋め尽くされたところを抜けて帰途に就きました。
一五代沈壽官さんは、自分のことを「作家」と表現しておられました。世界中に人々に感動を与え続けるのは、作品の数々が薩摩の美にとどまらず、地球の美、宇宙の美を創造し体現する「作家」でおられるからかもしれないと私は感じました。
一介のただの旅人の私にいろいろなお話を聞かせていただき、様々な気づきを与えていただき、本当にありがとうございました。深謝いたします。
私は、お土産に黒薩摩のお茶碗とお皿を買いました。美しい作品群にはちょっと手が出ないということもありますが、ここでの自分へのお土産は黒薩摩の器、一択でした。骨太で大地と太陽のエネルギーをその身に蓄えた器たち。
実は、この器たちは、おもしろいことに主張するのです。いいかげんに作ったものや、出来合いのものを載せると「こんなん、私に載せんといて!もっとちゃんとしたものを食べなあかんよ!」と。新鮮な素材で、心をここにとどめて作ったお料理でないと拒否するのです。ちゃんと目覚めていることを求める器たち。
めんどくさがりの私にとってこの器たちはあちこちに心が向かいがちな私の日常生活をマインドフルにしてくれる大切な友人になりました。