「鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座(あかざ)再来」
暑中お見舞い申し上げます。
40℃近い酷暑が続いておりますが、皆さま、お変わりないでしょうか?
先週、避暑と目のリハビリ(!?)を兼ねて映画「鬼滅の刃」を見に行きました。
夏休みなので、小さいお子さんを連れた家族連れや、中高生、お孫さんを連れたおじいさん、おばあさん、各年代のお一人様など老若男女が見に来られていました。私も「鬼滅の刃」は大好きな映画の一つです。
圧倒的な映像の迫力や登場人物の魅力的な声や言葉にカタルシスを感じ、自分を振り返り、時に疑問を感じ、そして次なる未知の世界へ誘ってくれる、そんな子どもから大人まで存分に楽しめる映画だと感じました。
また私は、心理士であり、マインドフルネスを実践しているので、特に「〇〇の呼吸」、「思い出せ!」、「集中」、「透明な世界」などのタームにワクワクし、炭次郎達と戦う「鬼」の存在に強く惹かれます。「鬼」には鬼にならないといけない過去があるからです。
特に今回は、「戦え!戦え!」と叫びながらあの「炎の呼吸」を操る煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)と戦い、勝利した「猗窩座(あかざ)」という「鬼」が再び登場します。
猗窩座(あかざ)という名前の意味は、「奇妙な犬が穴蔵で座っている」という意味だそうです。(以下は「ネタばれ」を含みますので、また映画を見ていない方は、映画を先に見てくださいね。)
「猗窩座(あかざ)」をイライラさせるもの
前作の「無限列車編」で「猗窩座(あかざ)」は、「これでもか、これでもか!」と貪るように「戦え!」と柱の煉獄杏寿郎に挑んでいました。
その姿は、際限のない戦いの中で己の力を誇示するると同時に、戦いに明け暮れて、何かを忘れているような、忘れたいものがあるような…、そんな彼の在り様を感じさせるものでした。
今回は、猗窩座(あかざ)がなぜ鬼になったのか、彼の「人」の時の歴史が語られます。
猗窩座(あかざ)と炭次郎たちの戦いは、それぞれ究極の鍛錬をした者同士の戦いですから、各々が、瞬間に意識を集中しており、ゾーンに入っている状態のようです。その中で、火花を散らす一瞬に、それぞれの今に至る歴史が展開されます。
そのきっかけは、猗窩座(あかざ)が、戦いに集中している時、フッと炭次郎の中に「イライラさせるもの」を見い出します。そして、猗窩座(あかざ)は、それが自分の過去に経験された「何か」であることを思い出していきます。
果てしのない戦いの中、何度か、猗窩座(あかざ)の頭の中を「何か」はよぎるのですが、はっきりとその「イライラさせるもの」の正体が分かりません。ただ、猗窩座(あかざ)は、それを「俺をイライラさせるもの」、「あってほしくないもの」として意識しています。
私たちは、意識の中に何かが立ち現れると、瞬時に「快」「不快」「そのどちらでもないもの」と判断しています。
私たちが瞑想をしている時にも同じように「あってほしくないもの」が現れることがあります。身体の痛みであったり、眠気、過去や未来への悔恨や不安に関する思いや考え、感情などです。
もし、その時にその感覚(フィーリングトーン)に気付き、それらをそのままにして続けて「何か」を静かに見つめることができるなら、それはどのようになっていくでしょうか?
もしかしたら、その見たくない、感じたくない「不快」さの中にこそ、自分自身を受け入れ、癒すきっかけが存在しているかもしれません。
猗窩座(あかざ)は次第に自分自身の心を見つめていきます。
「俺が…。俺が…。」を超えた二人
猗窩座(あかざ)の「人」の時の名前は、狛治(はくじ)といい、神社の狛犬(こまいぬ)から取ったものだそうです。狛犬(こまいぬ)は、神社の大切な神様を守っている犬です。
猗窩座(あかざ)が、炭次郎の中に見た「イライラとさせるもの」、それは、かつて自分自身が持っていた「大切な人の幸せを願う気持ち」だったのかもしれません。彼に心から慈しんでいた人たちとの思い出がよみがえってきます。
鬼になるまでの自分の「人」であった過去を思い出し、自分自身を見つめた猗窩座(あかざ)は、自分の心の深い傷と自分がかつて持っていた人を慈くしみ守る心、そして、自分を暖かく迎え入れてくれた人たちのことを思い出します。
そして、彼は究極の選択をします。
炭次郎も尽き果てようとする最後の気力を振り絞り、「自分が」ではなく、「大切な人の幸せ」を願い、最後の一撃を出します。
そして、猗窩座(あかざ)は、永遠に戦い続ける「鬼」という選択をやめ、「人」に戻り、暖かい光の中に包まれ、消えていきます。
「鬼滅の刃」、とても奥深い物語です。
もしかしたら、「鬼」とは私たちの「貪る心」「怒る心」、「無知なる心」の貪・瞋・痴という人間の根本的な3つの煩悩を現わしているのかもしれません。
そして、「鬼を滅する刃」とは、人間の煩悩を滅しようとする一つの試みの旅の物語かもしれません…。
映画のラストシーンは、「鬼」の首魁である「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)」が、私たちの脳細胞のような姿で無限城を果てしなく拡張し続け、炭次郎たちがその無限城の中を必死で走っている場面で、映画は「続く」となりました。
炭次郎たちの旅がこれからどう続くのか、ワクワクします!見た人すべての心をわしづかみにつる「鬼滅の刃」!
酷暑の中、すずしい映画館で鑑賞するのもおすすめです。
きっとご覧になった皆さんの心にこの映画は、静かな波紋を広げていくでしょう。
皆さん、もうしばらく酷暑が続きますが、何とか乗り越えましょうね!
どうぞくれぐれもご自愛ください。