雨の音
今日は、朝から蒸し暑いので窓は開け放しています。
静坐瞑想をしていると、外で小さな何かをたたくような音が聞こえ始め、しだいに遠くから水が集まって流れてくるような、広がりを持った音がしました。不思議に思い、そっと目を開いてみてみると、雨が降り出していました。
久しぶりの雨です。8月の末に台風が来て、その後、涼しくなるのかと思いきや、暑さがぶり返し、9月に入っても34度から35度近くの日がずっと続いていました。自分も周りの世界も干からびたようになっていました。
マインドフルネス瞑想(静坐瞑想)では、最初、呼吸の感覚に意識を向け、次に意識の領域を身体全体に広げたり、音に向けて観る方法があります。今日は、音に意識を向けてみることにしました。何の音かというのではなく、音そのものの性質に意識を向けてみます。
音を音として聴く
音に意識を向けていると、雨の降り初めは柔らかく、周りの土に沁みこんだり、柔らかい木々の葉にあたる音がしたり、道路の中に吸収されるような…。そんな音がさらにぶつかり、そして広がり、吸い込まれて、そして、消えてしまう感じです。
次第に雨脚が強くなると、葉や瓦、地面に打ち付けられて跳ね返るような、たたきつけられるような高い、大きな音になってきました。そして、それが雨どいが低く振動し、ある重量を持つような流れの音になり、さらに低く大きくなり、下方の溝の方に流れていく音がします。
雨の音は一瞬も留まることはありません。すべては変化していきます。
雨の音に意識を向けて聞いていると、音の中には虫の音も複数、断続的に聞こえたり、消えたり、鳥が突然不規則に大きな声で鳴きどこかに羽ばたいていく音も混じって聞こえ、驚くこともあります。
けれども「それはそれとして…。」、音に意識を向けています。
「私」にとって、「心地よい音」も「そうでない音」も「中立的な音」も含めて気づいておきます。自分で「好きや嫌い」「良いや悪い」等の評価をしないで観察し、感じてみます。
そうしているうちに呼吸とともに、自分の思い・考え、感情、身体感覚が浮かび上がってくることがあるので、それも観察してみます。
すると、私は、それらの音とともに自分がいっしょに今ここにいる、存在している、生きていることに気づきます。一人で座っているようで、一人でない、自然の中にただいる、雨や虫や鳥とともに…。自分はそれ以下でもそれ以上でもない…。
すると座っている私のこめかみに汗が流れつたいます。それもそのままにしておくと、柔らかい風にそっと持っていかれるように空中に消えていきます。私の汗も雨に交じり、自然の中に流れていくように感じました。
評価せず、ただ瞬間、瞬間の体験に心を開いておく。
そうしていると、自分の一部(汗)も自然の中で循環していることに気が付きました。そして、音に意識を向けた瞑想後は、頭の中が静かになっている自分に気が付きました。