飛鳥寺
先日、関西地方でも雪が積もりました。その雪の残る奈良の飛鳥寺に行き、ご住職の植島寶照(うえじまほうしょう)様にお話を聞く機会がありました。
このお寺は、蘇我馬子が発願し、推古天皇の御代に日本最初の仏教寺院として建てられたということでした。
それ以前に崇峻天皇の御代、この地は、「真神原(まかみのはら)」と言われ、6世紀の飛鳥の中心地で、ご神意のある槻木(つきのき、欅の木)があったそうです。
その広場の蹴鞠で、天智天皇と中臣鎌足が出会い、後の「乙巳の変」につながったそうです。
馬子は崇峻天皇を暗殺し、孫の入鹿は「乙巳の変」で殺されることになり、はねられた入鹿の首は、「もうこの森」まで飛んできて、今は飛鳥寺のすぐ近くに「首塚」として祀られています。
すさまじくドロドロとした時代でもあったのですね…。



飛鳥大仏
飛鳥大仏は、当時の最高峰の名工である鞍作止利(止利仏師)によって作られ、高さ約3m、当時の銅を15トン、黄金を30キロも使われて装飾されていたそうで、創建当時はまばゆい光を放っていたそうです。
また飛鳥寺は男性のためのお寺で、女性のためには豊浦寺(現在は向原寺)を建立したそうです。
そして、鞍作止利(止利仏師)の母親が日本で初めての出家信者になられたとのこと、初めての出家者は女性だったのですね…。
飛鳥寺の当時の図を見せていただくと、壮大な伽藍配置を持つ当時の最先端のランドマーク的存在だったそうで、学術的な調査の結果も伝承通り、座っておられる台座と大仏様は1400年以上も創建当時のままだそうです。
その後は、寺運の衰退や大火にも見舞われ、飛鳥寺自体もほとんど顧みられない時代もあったそうです。
200年も野ざらしになった時期もありながらも、何とか今のお姿をとどめているのは、「これではいけない」と感じた東大寺の高僧が修復されたり、今井村の夫婦がお堂を再興されたり、様々な人々が手を差し伸べて今に至るそうです。
本堂の飛鳥大仏様は、本堂の中に座っておられました。
少し面長のお顔で鼻筋はすっきりと通り、目は杏仁形(きょうにんけい)で、アーモンド形とも言い、開けておられ、そのお姿は、1400年の間に飾るものが時の流れとともにすべて剥がれ落ちていました。
よく見ると、頬には大きな傷があり、身体のあちこちにも無数に傷あとがありました。
けれども今この瞬間、ろうそくの光に照らされながら座っているお姿は、とても存在感に満ちながらも優しく私たちを迎え入れてくださっているように感じました。(ご住職のお許しを得たので写真をブログに掲載させていただきました。)
「蘇我馬子、持統天皇、聖徳太子もこの大仏様の前で祈られていたのですよ。」というご住職の言葉が、私の身体の中を通ると、サァーッと細胞が起き上がっていくような、何か熱くなるような感覚が体を駆け巡りました。
その瞬間、飛鳥大仏様の前で、歴史上の人物たちが、自分と同じ血の通った人間であることを感じました。



調和の時代へ
「飛鳥大仏様は、左のお顔は少し厳しく見え、右のお顔は優しい慈愛に満ちたお顔をされています。」
ああ、ほんとうにお顔が違う…。けれども、どちらのお顔も飛鳥大仏様として調和し、違和感なくそこにおられる。
私は、今日のご住職の話の中で、この飛鳥寺に係る女性について多く語られたことが印象的でした。
時代の流れの中で、仏教を受け入れる決意をした持統天皇、豊浦寺が女性のためのお寺で飛鳥寺と対になっていたこと、鞍作鳥の母親が日本での最初の出家者であること。
飛鳥大仏様のお顔には、女性性と男性性が相和して存在していること。
私にとっては、初めて知ることでした。
今の私たちの現実の社会は、男性性が優位の社会のように見えますが、今、少しずつ女性性の要素がバランスを取ろうとしているかのように見えます。
飛鳥寺からの帰りのバス停で、ここの住所が書かれていました。
「奈良県高市郡明日香村飛鳥」、日本で初めての女性総理の高市早苗さん、この奈良県のご出身です。
雪の中でも梅が咲きだしているように、時代も日本も少しずつ変化していくような予感がします。
もし、お時間があったら春を待つ奈良・飛鳥地方を歩いて、1400年間ここで座られている飛鳥大仏様に会いに行かれませんか?
きっと、梅の香る静寂の中、マインドフルなひと時が待っていると思います!

