Curiosity (好奇心)

マインドフルネス 好奇心
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不思議な感覚

 「マインドフルネス」って何だろう?と好奇心を持たれ、ネットで様々な記事を検索し、「マインドフルネス」の旅に出られているあなた。きっと、あなたの好奇心が、未知なもの、不可思議なものを探索するモードに入っているのかもしれませんね。ジョン・カバットジン博士は、MBSR(マインドフルネスストレス低減法)のプラクティス(実践)に取り組むときに「好奇心を持ってやってみてください…。」とすすめておられます。


 「好奇心」、この不思議な心の作用は、私たちの毎日の生活にマインドフルネスを取り入れる時にも、軽やかに勇気とチャレンジ精神、遊び心、失敗したって大丈夫だよ等、固くなりがちな私たちの心に新たなスペースを作ってくれるようです。そして、それは意外と深く私たちの存在の根源的なものに結びついているかもしれません。

 MBSR(マインドフルネスストレス低減法)では、最終日にこれからマインドフルネスのプラクティスを続けていくためにどのような方法があるかについての話題提供とシェアリングがあります。その当時、参加者だった私は、終日プログラム(対面、7.5時間)がとても印象的でしたので、できたらすこし長期の瞑想のリトリートにも参加してみたいと思いました。国内外で様々な形のリトリートを提供している団体や施設があります。仏教関係であれば、一般の人たちに開かれている「摂心」というものもあります。(最初は無理をしないで、指導者のいるプログラムで瞑想を体験し、練習をしてから宿泊を伴うプログラムに参加されることをお勧めします。一泊体験などもあります。「がんばりすぎない」が大切です。)

 私が霜降摂心に参加して3日目のことでした。ちょうど夜明け前の薄明かりの中、半眼で座っている私の前の障子のに一つの小さい黒い物体がうごめいていました。「視野の中に入った」という感じでした。すると、私の目は自然にスッーとその黒い物体に意識を集中させます。信じられないかもしれませんが、瞳孔がだんだんと狭まるのを感じました。まるでカメラがズームインしているように感じです。そして、身体全体があたかも単細胞生物の目のようになり、その物体を全集中で観察しているのを感じました。私のふだん意識している意識ではコントロールできないくらい瞬時のことでした。


 ふだんの私は、虫が大嫌いなのですが、それとは別物の私がそこに出てきました。私の全身でこの黒い物体を、じっと興味深く、好奇心を持って「なんだろう?これは?」と観察しているのです。
 それは色は全体的に黒っぽく、身体から細い針のようなものが6本出ており、短い毛のようなものが無数に出ています。一番太い部分の中央部分に線のようなものが入っています。身体らしきものの端には、茶色に光るものが二つ付いています。身体に付いている網目のような筋のある透明なものを震わしながら前後左右にに不規則に動いていました。


 時間にするとわずか数十秒だったのではないかと思いますが、私には長い時間に感じました。何より私が驚いたのは、私がふだん私と思っている私ではないものが現れて、その黒い物体を観察していたのです。私は確かに単細胞生物のような感じでした。(別にヴィジュアル的に何かに変身したのではありませんが…。)「あれはなんだ?」という「好奇心」。私の場合は、はっきりと意識できなかったのですが、危険と判断する前からうっすらと、それが危険でも見てみたいというふうに出てきたように感じました。普段の私であれば、条件反射的に「キャー、虫、気持ち悪い!」と思い、とっさに立ち上がり、その場をまず離れていたことでしょう。通常では考えられない自分の行動でした。  

根源的なもの その①

 摂心中は、携帯もテレビも見ません。緊急時以外は、人とほとんどしゃべりません。座禅(1柱、約40分を一日、8~10回位)を中心にして全て決められた時間通りに一日を送ります。なのでふだんの私たちの感覚器である目、耳、鼻、口、身体、それらによって生じる意識が、外部から受けるの刺激の量は、摂心中はずいぶんと減ります。
 そして数日経つと、ほんの小さい刺激もはっきりと意識でき、明晰さが増してくるようになります。そのため、普段は意識にも上らないようなものまでつぶさに観察することができるようになっていたのでしょう。

 
 摂心を無事に終えて帰宅してからも、その不思議な体験を思い出しては、様々な思いや考え、感情、身体感覚が甦ります。特に、摂心中に現れた「もっと見たい、知りたい、感じたい。」と感じていたもの、「好奇心」についての体験でした。それを感じている時の自分の感じ方にもあらためて驚きました。
 もしかしたら、私の中に刻まれているDNAの中の35億年前の記憶が甦ったのかもしれません。海の中で単細胞生物だった私は、様々な危険から身を守り、生き抜くために、周囲を探索するセンサーのような働きを生みだしたのかもしれません。また危険だけではなく、自分にとって好ましいもの、生かしてくれるもの、心地の良いものも同時に貪欲に探していたに違いありません。


 そして何かを察知し、意図すると、私たちの感覚のすべてはその目的のために心身を最適化しようとするのも感じました。全身が対象となったものに向かい、意識のすべてを集め、探索するために用いるのです。

 そう考えると、「好奇心」は私たちの行動にとって最も大きな、そして抗えないくらい大きな影響を与える可能性を持っているのことも感じました。時によっては、命に係わるかもしれないことであっても「もっと見たい、知りたい、感じたい。」と生きていくための本能を超えてつつも、なお際限なく私たちを未知のものに誘うのも「好奇心」の一面かもしれません。

 今も私の意識しないところでも私を動かしているのかもしれないもの、「好奇心」。それは、私が思っていた以上に根源的なものかもしれません…。

 また、あらためまして、このような貴重な経験をすることができましたこと、摂心やリトリート等、人間が自己を探求することの大切さに気付き、尊重し、そのための施設や制度を作り、私たちが安全に自己を見つめることを支え守ってくださっているすべての方々に深謝いたします。ほんとうにありがとうございました。

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