マインドフルネスとは?
「マインドフルネス」を言葉で説明するのは、とても難しいことです。私も最初は言葉で説明されても具体的にどのようなことを表しているのか分かりませんでした。けれども自分で本を読んで実践したり、MBSRのようなプログラムに参加したり、リトリートや摂心に参加することによって、自分の身体と心でこういうものかと体験することができるようになりました。これは、外部に何かそういうものがあって求めていくものではなく、私の心身に眠っている宝物を掘り出していくような作業でもありました。
MBSR講師をしている私は、以下の3つの定義が一番しっくりきます。(というか、そう表現するほかはないという感じです。)
ジョン・カバットジン博士の定義よれば、「マインドフル ネスとは、意図的に、今この瞬間に、価値判断することなく注意を向けること」とされています。
日本マインドフルネス学会の定義よれば、”マインドフルネスとは、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」です。なお、「観る」とは、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味となります。”
MBSRの独習書である「マインドフルネス・ストレス低減法ワークブック」では、”マインドフルネスとは、心や身体への気づきを養い、“いまここ”で生きるということです。“今この瞬間にとどまること”やマインドフルネスは、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教、ユダヤ教、道教など多くの宗教にとって重要な概念です。”と書かれています。「マインドフルネス・ストレス低減法ワークブック」 ボブ・スタール/エリシャ・ゴールドステイン著 家接哲次訳 金剛出版 2013 p.29
仏教における「マインドフルネス」
ウィキペディアのマインドフルネスの概要には、「マインドフルネス(mindfulness)という用語は、仏教の重要な教えである中道の具体的内容として説かれる八正道のうち、第七支にあたるパーリ語の仏教用語サンマ・サティ(パーリ語ラテン翻字: Samma-Sati、漢語: 正念、正しいマインドフルネス)のサティの英訳である[11][12]。サンマ・サティは「常に落ちついた心の行動(状態)」を意味する。」と書かれています。 https://w.wiki/3TN6 2024/6/28
また、神道にも似た概念があります。
神道における「中今(なかいま)」
『続日本紀(しょくにほんき)』の宣命に記され、のちに本居宣長(もとおりのりなが)が「今をいふ也(中略)盛(さか)りなる真ん中の世とほめたる心ばへ有て」と解釈をした「中今」という言葉があります。その後、国民の住みよき世を目指し、日本の近代化を進めた明治の御代を経て「中今」は「現在とは過去と未来を結ぶ中心点」を表す言葉として、そして天地が窮まり無く永続であるという日本古来の時間観と重なり、「今を生きる心得」として捉えられ用いられるようになりました。その「中今」の心得とは、「今」とは過去と未来をつなぐ中心にあり、悠久なる歴史と自分自身との出会いの場である一刻一刻の「今」を力一杯生きて、生活をできうるかぎり価値あるものとし、未来を支えるための一端を担うことにあります。地球環境の大きな変化に直面する私たちの「今」に照らし合わせますと、一人一人が与えられた「今」を最大限に活かし、自然を豊かなまま持続できるよう努め、「今」と変わらぬ実りを未来に渡す繋ぎ手として、「中今」を過ごすことが求められています。』東京神社本庁 神道知識の誘(いざな)ひ中今(なかいま)2024/6/24
生きる「知恵」としてのマインドフルネス
また、その次に載せているのは、先人たちが人間の幸福について探し求め、苦闘してきた歴史の中で、「マインドフルネス」の豊かさについて、様々な角度から表している言葉です。良かったら読んでみてください。
MiSP(マインドフルネス・イン・スクールズ プロジェクト:英国の慈善団体)の資料によると、マインドフルネスの定義だけではなく、その概念まで含むと、世界中の宗教や哲学、様々な人々の考え方の中にマインドフルネスは存在しています。
イスラム教 私たちは、注意力が散漫なことを話します…(中略)自らを「過去に放り投げ、過去の痛みやトラウマに執着し、未来に投げつけては、将来を望み、何かを失う恐れから離れることが出来ません。過去や未來のどこかしらにいて、ここにいることはありません。(中略)これは呼吸を意識するマインドフルネスから始まります。私たちが呼吸に注意を向けるときには、ただ息が入り込み、心から出てくることを観察します。呼吸はゆっくりとなります。心臓の拍動もゆっくりになります、そこが、全体となるところです。体、呼吸、精神が一つになるところです。Omid Safi-Director of Duke University’s Islamic Studies Center
キリスト教 “…最終的に完全にそこにあるものすべてに目覚めると、人が生きることの豊かさが分かります。しかし、私たちがすべての現実に完全に目覚めることはなくそれは人生の半分を生きているようなものです。ですので目覚め、完全に意識することが人生の豊かさへの道程ということになります…。” Mindfulness and Christian Spirituality: Making Space for God by Tim Stead
ユダヤ教 “深い省察、集中、思索…今そして精神的な自己の内省と省察に完全に集中するとき。口に何かを入れる時、その前に私たちは何をするでしょうか?それが肉なのか、乳製品なのかを思い出します。”どこに行っても…私たちはこの瞬間にいることを要求されます。絶え間なく辺りを見回し、今を意識します。“ Rabbi Sam Frankel
ウブントゥ ”…と共にいる人は、他の人にオープンであり、応じることができ、他の人を肯定し、他の人が有能で善良であるからと言って、自らの脅威と感じることはない。なぜかと言えば、自らがより大きな全体の一部であることを知り、他の人が辱められた時、貶められた時、拷問や抑圧を受けた時には、自らも貶められることを知っているからである。人は一人では人たり得ず、このことが分かっていれば…あなたは寛容を持っていられるであろう。われわれは、自らを人とは別のただの一個人とあまりに煩雑に思いがちである。実際には、人はつながっていて、我々のすることが、世界全体に影響する。何か良いことをすれば、それは広がり、人類全体のためになるのである。“ Humanist philosophy and ideology (アフリカのウブントゥの教え)
古代ギリシャ ”自らが望むものが得られない時には、苦痛を感じる;望まないものが得られた時には、苦痛を感じる;例え望むものが得られたとしても苦痛を感じる。なんとなれば、それをずっと持ち続けることは出来ないから。自らの心が苦痛の源。心は変わらないことを望む、痛みのないこと、人生の義務と死のないことを望む。しかし、変化は摂理であり、見せかけが現実を変えることはない。“ Socrates 470-399 BCE
やはり、私は、「マインドフルネス」は、人がこの苦難の多い人生をできるだけ幸せに生きていくためには、知らないよりは知っておいた方が良い、もしかしたら必要なもののように思えました。