「ボディスキャン」#1 Reconciliation ~和解の始まり~ 

ボディスキャンによって私たちの離れ離れになった身体と心が再び結びつき、自分の心身が何を本当に望んでいるのかがわかるようになる可能性があります。
目次

私の不調は右半身 

 私の不調は、右足の親指、右膝、右肩、右目等身体の悪い所はなぜか右が多いのです。

 例えば、右足の親指…。高校生の時に重い鞄を持って、固い革靴を履いて登校していました。親指の爪が皮膚に食い込んで、化膿しました。体育会系のクラブに入っていたので、無理をして何度も爪が食い込み化膿する状態を繰り返しました。その都度、外科に通い爪の一部分を切除して様子を見るという治療してきました。


 当時、医師からは、「巻き爪で、どうしても無理をすると食い込み、化膿してひょう疽という状態になるから無理をしないように。今は、部分的に爪を取り、治す以外はない。時機を見て手術した方がいい。」ということでした。
 そして、とうとう20代後半に入院して、爪の根元の三分の一を取る手術をしました。約10年が経っていました。その後は、爪が食い込み、化膿するということはなくなりましたが、私の親指の爪は左側の3分の2の大きさになりました。そしてその記憶は遠い昔のことになり忘れていました。

身体と共にいること ~ボディスキャン~

 MBSR(マインドフルネスストレス低減法)の前半のセッションでは、自分の身体に注意を向けるプラクティスを行います。ボディスキャンというプラクティスもその一つです。

 ボディスキャンは、瞑想の一つですから、目覚めて行うことが必要です。しかし、私もそうですが、多くの人が途中で寝落ちしてしまいます。(けれどもそのような時は、身体が寝ることを求めているのですから、寝てしまうという選択も時に必要かも知れません)。

 ボディスキャンは、自分の身体をスキャンするように丁寧に観察していきます。最初に意識を向けるのは、左足の親指から始めるのですが、私は「左足の親指?何それ?そんなん、感じるものなの?」という思いや考えでした。また身体感覚は「まったくわからない、感じない。」というものでした。ファシリテーターのガイドの「感じないなら感じないということに気が付いてください。それで大丈夫です。」という言葉に安心しつつも、多少の不安と疑問を持ちながらガイドに従って、身体の様々な部分を観察していきました。

 ガイドは、進んでいきます。足の裏については、「…この小さな部分で、重い体を支えてくれています。」。胸のあたりでは、「心臓は生まれてからのこのかた一時も止まることなく、私たちの身体に血液を送り続けてくれています。」等のガイドがなされます。


 身体を巡るガイドを聞いているとだんだんと目頭が熱くなりました。「そうだ、身体はずっと私とともにいてくれたのに、私は身体に感謝など一度もしたことが無かった。」ことに気づいたからです。

再び身体と心がつながる

 私は、昭和世代で「巨人の星」や、「アタックNo.1」にあこがれた世代です。当時は「身体は鍛えれば鍛えるほど良い」や極端な考え方では「身体はいじめぬく」等という考え方もありました。うさぎ跳びや電気椅子を体を鍛えるためのトレーニングと信じて一生懸命にやっていました。
 また、大学時代に自転車から落ちて腰を強打した時も、根性論でお医者さんなんか行かなくても冷やして安静にしてたら治る、病院へ行くなんて大げさなどと考え無理をした事、子育ての時に子どものトイレットトレーニングで2度ぎっくり腰になったのに無理をしたこと。そんな私の身体の経験が次々と思い出されました。

 ある日、ボディスキャンで右足の親指に意識を向けていると、頭の中で稲妻が走ったように感じました。そして、「私の右足の親指…。長い間、私の体重を支え、歩くとき、運動するとき中心になって踏ん張ってくれていた…。足の親指は何にも言わずに何十年とずっと私に寄り添ってきてくれたんだ…。文句ひとつ言わないで…。早く手術すればよかったのに生爪をはがすようなことを何度も強いてきた…。自分がしたいこと、しなくてはいけないと思っていたことがあったからだけど。


 足の親指はしゃべれないから痛くても痛いなんて言えずに、それにかまけて無視したり、軽く考えたり、否定したりしてその存在を認めてすらいなかった…。ずっと耐えてきてくれていたんだ…。ありがとう…。ごめんね、長い間…。」と感謝の気持ちと涙があふれてきました。


 同時に「身体は私の考えや思いに従うべき」など、思考優位で身体を軽んじる自分の考え方のくせや、身体の一部に加重な負担を強いていたがはっきりと理解出来ました。

 身体と心が再接続し、和解しはじめた瞬間でした。

 話は変わるのですが、私は、以前に虐待とその治療について学んでいた頃、ベッセル・ヴァン・デア・コーク博士の講演を聞きに行き、博士の「身体はトラウマを記録する」“THE BODY KEEPS THE SCORE”という本を読みました。そして、身体と心の深い関係性については理解しているつもりでした。けれどもその知識と自分自身の体験とは全く繋がっていませんでした。

 右足の親指の歴史と身体の右側の不調の多さは、私の中で、それぞれがバラバラの物語に切り離されており、全く繋がっていませんした。

 しかし、「THE BODY KEEPS THE SCORE」だったのです!ボディスキャンを行い、自分の身体を探索し、観察していくと私の身体全体を一番底辺で支えてくれていた右親指の歴史に気がつきました。そして、自分のその時の思いや考え、感情が思い出され、その積み重ねが今の右半身の心身の不調の可能性の一つであることに気が付きました。

 何度かボディスキャンで、意図して身体を観察することにより、ある瞬間に身体と心がつながり、身体に対する気づきと感謝の心が同時に起こったのです。不思議な体験でした。

 そのことがあってから、私は、少しずつ身体に思いをはせるようにしました。身体の声を聴き、必要だと感じられることについては出来る限りケアしたり、運動したり、休ませたりしています。最近でもやはり気がせいている時は、身体に無理をさせることもありますが、「無理をさせている」という事に気づく事ができると、一呼吸し、心にスペースを作り、様々な選択ができるようになりました。

 ボディスキャンの力はとてもパワフルだと私自身は感じています。が、同時にプラクティスの方法には注意が必要だとも感じています。身体には自分は忘れてしまっているけれどもトラウマが眠っている場合があるかもしれません。なので、私は、最初は指導者がおられ、様々な状況に対応できるような環境でプラクティスを開始されることをおすすめします。

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