「食べること」
「食べること」は私たちの命と健康に直接につながっています。ところが、あまりにも日常的なことなので、大切だとは思いながら、日常の忙しさの中で「食べること」をついつい疎かにしたり、逆に「それではいけない。」と極端に教条的になり「~しなければいけない、~してはいけない。」という思考に囚われたり、ストレスを感じると無意識に何かを食べすぎてしまったりする自分がいます。「食べること」の本来の意味をあまり感じなくなっているのが私たち現代人かもしれません。
MBSR(マインドフルネスストレス低減法)における「食べる瞑想」は、私たちの五感(観る、嗅ぐ、音を聞く、味わう、身体がどのような反応をするか観察する、思い・考えや感情を観察する等)のすべて投入し、意図して「食べる物」を「全く未知もの」として、今までの感覚を経験し直します。
そして、私たち自身の固定概念や自動反応を脇へ置いて、自分自身と「食べるもの」と再接続し、関係性を見直し、そして、新たな選択するという側面もがあります。
私は、自分で畑を耕して、世話をし、野菜を作っているとその美味しさと香り高さにハッとすることもしばしばです。
「食べる瞑想」時に「美味しい、ああ、良い匂い」と感じることには、私たちにとってどのような意味があるでしょうか?
「嗅覚」の働き ~身体の知恵~
先日、「チコちゃんに怒られる!」というNHKの番組を見ていました。その時に、「なぜカレーの匂いを嗅ぐとカレーが食べたくなるのか?」というおもしろい質問が出されていました。また、実験でカレーを食べた人は、直後の目隠しの実験でカレーの匂いを嗅いでもカレーと認識出来なくなるのです。あの特徴的なカレーの匂いをですよ。不思議です。
質問の解答として、福井大学の村田航志先生が、とても興味深い解説をされていました。
「カレーには、様々な栄養が含まれています。肉はタンパク質、野菜は、ミネラルや食物繊維、ビタミンを多く含みます。ご飯は炭水化物です。私たちの脳は栄養のあるものを覚えています。すると、体が欲しがっている栄養を持つ食べ物の匂いを嗅ぎ取ります。だから、カレーの匂いを嗅ぐとカレーが食べたくなるのではなくて、身体がカレー(必要な栄養)を欲しているから匂いを嗅ぎ分けるのです。それは、食べ物をとるのが大変難しい時代を長く経験した私たちが、身体に必要な栄養を必死で嗅ぎ分けて生きてきたからです。なので、(栄養が)足りると匂いは嗅ぎ分けられなくなるのです。」と話されていました。
身体が必要とする栄養の匂いを嗅ぎ分けて生きてきた私たち。
そう言えば、私自身、「カレーは、疲れた時とか、今みたいに暑さで消耗している時、なんとなくカレーの匂いが恋しくなり、自然と作っている…。そしてカレーを食べると何か元気になる。」と思い当たりました。
また、私は、自然と香り立つ野菜を多く作っていました。ピーマン、万願寺唐辛子、トマト、玉ねぎ、にんにく、 ニンジンなど…。そして今はブロッコリーを植えようとしています。
それらの野菜は独特の香りがします。
「食べる瞑想」を通して、少しずつ体の声を聞けるようになってきた頃、なんて美味しそうな良い香りと感じた野菜たちは、実は私の身体が必要としていたものだったのでしょう。そして、その美味しそうな香りに導かれ、作った野菜たちがもしかしたら、私の健康を守り、長年、家族性だとあきらめていた高いコレステロール値を下げてくれている一つの要因だったかもしれません。
自分の健康に足りない栄養を感じ取り、私たちに取るように促している身体の知恵、そして、その知恵を養う一つの感覚器官が私たちの五感の一つである嗅覚。
「う~ん、じゃあ、私も虫も同じじゃない。匂い・香りで必要な食べ物に引き寄せられていたんだ…。
同じ生き物だなあ…。じゃあ、もしかしたら、以前の私は生き物本来の力を失っていたのかもしれない…。」
「食べる瞑想」における「嗅覚」が感じる「香り、匂い」に意識を向けて観ることは、私たちに必要なもの、足りないものを教えてくれる、私たちの健康に大きく貢献してくれる可能性があるのかもしれない…。そんな思い・考えにつながった今日この頃の「食べる瞑想」でした。