京都のバスの中で…
先日、京都に行きました。まだまだ暑い日が続いており、後からニュースで気温が37度もあったことを知りました。
京都駅から宿泊するホテルに向かうときにバスの運転手さんが「もうすぐ西本願寺となります。」しばらくすると、「あの有名な安倍晴明の清明神社です。」、「ここが北大路通りで前に見える山が五山の送り火で…」と説明してくれました。
するとバスのあちこちで「学生時代にここに住んでてこの商店街は…。」「昔、大文字はこの辺で見て…。」
「清明神社行ってみたいわ。」などと話す声が聞こえました。
このホテルに行くときはいつもこのバスを利用していたのですが、このように優しく説明してくださる運転手さんは初めてでした。運転手さんのお客さんを迎える暖かい心が伝わり、知らない者同士で少し緊張して同乗してい車内が暖かく優しい雰囲気になり、京都の旅を心待ちにしていたウキウキとした気持ちが湧き出てきたようでした。
また、翌日の帰りでも、市バスでも運転手さんが、やさしく明るい声で「ありがとうございます。」と降りる人に声をかけられていました。するとほとんどの人が「ありがとう。」と言いながら降りていかれます。外国人のカップルも日本語でていねいに「ありがとうございました。」と言い、降りていかれました。
あるバス停で、「車いすに方が乗られますので、ちょっと場所、空けてくださいね。すいませんね。」と言って、バスの降車口に行かれ、車いすの方の乗車を一人でてきぱきと手助けされ、汗をふきふき、また運転席に戻りていねいな運転をされます。
私は、お一人でバスに乗っているたくさんの人の命をあずかり、あの混雑した道を安全に運転しながら、乗降者のお手伝いもされ、ほんとうに大変なお仕事だなあ、ありがたいなあと思いました。
この運転手さんのお人柄から醸し出されているこのバスの空間はとても気持ちの良い暖かい雰囲気に満ちていて、みんなが安心して乗っているように感じました。
Loving- kindnessとは、人を大切にすること、そして、どうそれを現わすか…
正直に言うと、私は最初「慈悲の瞑想」=Loving- kindness meditationというネーミングになじめませんでした。
慈悲と言えば、仏教が思い出され、lovingと言えば「汝の敵を愛せよ。」というキリスト教的なものが私の中で
浮かび、なんだか自分の日常とはかけ離れたもののように感じていました。
MBSR(マインドフルネスストレス低減法)ではそれぞれのプラクティス(実践)は「宗教という枠をはずし」という枕詞が良く出てくるのに、いきなり「慈悲の瞑想」って…。と感じていまし、なんでそれがLoving kindness 「愛と親切?」になるのだろうと違和感を持っていました。
慈悲の瞑想=Loving-kindness meditationは、まず自分が人に大切にされた時のほっとしたような、安心した気持ちや暖かさを感じを思い出し、それを少しずつ自分から自分の近しい人たちへ、そして社会で働いてくれている人たちへ、苦手な人たちへ、世界中の人たちへ、生きとし生けるものすべてにと広げていきます。
ブラウン大の研修では、「祈る」と言うよりもむしろ「暖かい心を広げていく」ということを教わりました。
このお二人のバスの運転手さんがされていたように、「人を大切にして」=loving、そしてそれを現わす思いやりや配慮を持った行動=kindnessなのではないかなあとこの時、強く感じました。
このような方々が世の中のあちらこちらにおられ、周りに対して暖かい心を自分の中から外にも広げていってくださっているんだなあ。だから、それを感じた人は、感謝することができ、やさしくり、身体は暖かくなるり、とても安心、安全を感じられる…。
その中で、私たちは生かせていただいている…。(う~ん、やはり、宗教的になる…。)
私が出会った京都のバスの運転手さんたちはまさに慈悲の瞑想=Loving-kindness meditation を社会の中で実践ておられるように感じられました。
様々な気づきをいただきました。本当にありがとうございました。