「合気道」流コミュニケーション
MBSR(マインドフルネスストレス低減法)の中には、「合気道」流コミュニケーションというプレゼンテーションがあります。ここでは詳しく触れませんが、私は、なぜジョンカバット・ジンさんが日本の武道である「合気道」を選択したのだろうと常々思っていました。
私は、日本人ですが、「合気道」をほとんど知りませんでした。なので、You-Tubeで合気道の模範演技を見てみました。すると、まるで二人の間を何かのエネルギーの波が何度も繰り返し、繰り返し伝わっているように感じ、「武道なのになんて美しいんだろう。」と感じました。
しばらくして「合気道」の生みの親である植芝盛平さんが「大本(おおもと)」という神道系の宗教に大きく影響を受けていたということを知りました。
私の住んでいる関西には「大本」本部(丹波亀山城跡)の「天恩郷」があります。一度、「合気道」の故郷の一つと言ってもいいこの聖地を訪ねてみたいと思っていました。
秋になり、思い切ってこの地を訪れてみました。「天恩郷」を歩いていると、大地と太陽、空気、光、石、植物、動物が時間の流れの中で、静かにやさしく、美しくすべてが調和して存在しているように感じました。
合気道の故郷
「天恩郷」を歩いていくと、昔、神殿のあった入り口付近の石垣の上に伊都能売観音(いずのめかんのん)様が座っておられました。はじめは、観音様とは気づかず、ただの石だと思っていました。
その観音様に関する説明文によると、『「第二次大本事件」の法難によって首が切り落とされ、手足も削り取られており、当時の弾圧がいかに厳しいものであったかを物語っています。大本はかつて、1921年と1935年の二度にわたり、日本近代史上類例を見ない徹底的な宗教弾圧を受けました。(中略)特に「第二次大本事件」では、(中略)大本の聖地は没収され、全国すべての施設が壊されました。信徒三千人余りが取り調べを受け、983人が検挙され、拘留中に犠牲になった信徒も少なくありません。この弾圧事件は1945年9月大審院で無罪判決が確定し(中略)その際、大本弁護団が出口王仁三郎師に対して国家賠償請求を進言しましたが、出口師は、「政府から賠償金と言っても結局敗戦後の国民の血税から受けることになると述べ、賠償請求権を一切放棄し、信徒とともに破壊された聖地を一から再建しました。」』と書かれていました。
「ああ、この観音様はすべてを観ておられたのだ…。首が切り落とされ、手足を削り取られても…。そして今もここにいらっしゃる…。」と思うと涙が出てきました。私たち人間の「正義」は、時代や文化により変わることがあります。私は「大本」という宗教の信徒ではありませんが、人々が尊崇するものを破壊しつくすという行為に対して、とても怒りを感じました。
けれどもそれを超えて私の心を強く動かしたものは、粉々に破壊された瓦礫の地から、相手を責めたり、復讐することなく、自分たちの信じるもののために黙々と神殿を再建された人々の志の尊さと強さでした。
そして、祈り
あまりにも理不尽な暴力を受けた時に人間はどのように考え、感じ、そして選択して生きていくのでしょうか?
私は、この傷ついた観音様を守ってきた人々やそれを取り巻く周りの自然を感じながら、暴力では決して壊せない人間の心の強さと清らかさが、90年近い時間の流れ中で自然と調和し、この地を再建されてていったように感じました。
そして、その調和を現わすためには、何度粉々になってもなっても諦めることなく、自分の心の一番深い大切な所はけっして汚されることなく守り、美しい世界を現実にと願い、祈りながら行動していく、そういうことをこの観音様は教えてくれているようでした。
また、この傷ついた観音様を守ってきた人々は、「暴力で調和を乱すものに対して、同じ方法で対処するのではない。また再び、何度でも調和を取り戻せばよいのである。そして、それしかないのである。なぜなら、一時的に傷つけられたとしても、人間の中には、決して汚されないところがあるのだから、大丈夫である。」と知っていたのではないかと感じました。何か仏教にも、キリスト教にも通じるような…。だから、すべての宗教の「大本」なのか…。
調和の乱れたものが攻撃してきても、自分の心身が完全に調和していれば、乱れた波動そのものは調和したものを通してまた相手にそのまま還っていき、相手は自然と滅するだけである。
愚かで何度も自分を滅ぼしてしまうような私たちを、自然は、受け入れて、癒してくれて、そして、元に戻してくれる…。
それって「愛」じゃないかしら?と感じました。
もしかしたら、「合気道」の「合」は「愛」?かしらと思って、英語のパンプレットを見たら、「AIKIDO」 The Way of Spiritual Loveと書いてありました。
「合気道」の精神を少し垣間見たような気がした旅でした。