コノハナザクラ 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
明智光秀の築城した亀山城址にある天恩郷を歩いていると、古からのこの地における人々の祈りや生活の営みの歴史がここかしこに残っています。 石や水の神様の祠の鳥居は木をそのまま使った古いものでした。石垣には、様々な大名の刻印が押された石が残っています。
その前で佇み、呼吸を意識しながらじっと見つめてみました。頬を伝う風ややさしい光、土の香りに包まれながら、過去から未来に流れるこの一瞬にこの場所にいる自分を感じます。
秋のすがすがしさに後押しされながら進むと、朝ドラで有名になった植物学者の牧野富太郎博士ともゆかりが深い植物園がありました。様々な国や地域の植物がここで平和に共に生きている、そんな感じがしました。また、これだけの植物を維持し守っていくことは大変な労力がいるだろうとも感じました。
植物園を後にして、小道を登っていくと左手に黒い人の影が見えててギョッとしました。思わず二度見すると目が釘付けになってしまいました。「落ち武者…、落ち武者が木陰で座っている…。明智光秀…?」
そんなはずはない、何度も今度は深呼吸をして見ました。
すると「牧野博士?昔の紳士が木陰で座っている…?」
怖さを通り越し、正体を突き止めるべく、足を速めて木の正面に回り込みました。すると写真のような人影は全く見えません。そこには、大きな木ですが、何か雷でも撃たれたのか、焼けた跡のある一本の大木が立っていました。
「?」
説明文を読むと、「1953年の4月に出口直日大本三代教主が花明山植物園で発見した山桜の新変種で和名は三代教主の希望で古事記に登場する木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にちなみつけられた。(中略)花の華麗さと気高さは、広く市民に愛されている。」と書かれています。(天恩郷案内図「コノハナザクラ」より)
コノハナザクラは、ここにやって来た落ち武者をやさしくかばい、守っているようにも見えましたし、落ち武者も安心して体を預けているようにも見えました。
そして、次の瞬間には、立派な背広を着た紳士が木に腰かけて、何かをしばし観察しているようにも見えました。
共に生きていく
天恩郷を訪ねて感じたことがあります。コノハナザクラの体験は幻影かもしれません。
石垣の上の傷つけられた観音様も火傷を負ったようなコノハナザクラもそこに存在しています。
そして、明智光秀も牧野博士も私もあの場所であの瞬間に本当に存在していたのではないかしらと感じました。
あそこでは、過去から現在まで、人の営みがすばらしいものであれ、残酷なものであれ、そのどちらでもないものも含めて、数えきれないほどの死と再生を繰り返しながら、自然に見守られ、癒し、癒されながら奇跡のような今この瞬間のバランスの上で調和しているようでした。
けれどもかつては、廃城令でお城が徹底的に破壊されたり、宗教的な弾圧が加えられした歴史があります。
アフガニスタンで活躍された中村哲さんの言葉、「平和には戦争以上の力があります。そして、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要なんです。」という言葉が脳裏をよぎります。
私の前には、人の祈りや営みによって築きあげられ守られ、そして破壊されたものがありました。
それらが、私のアンカーとなり、思いや考え、感情や身体感覚や感触に開かれていった、そんな秋の日の旅でした。