リトリート
緑の美しい季節になりました。しばらくブログをお休みして、四国にお遍路に行ったり、5月の連休にはBob Stahlさんのオンラインのサイレントリトリートを受けていました。大げさかもしれませんが私にとって人生のリトリート期間でした。
「リトリートって?最近よく聞くけれど…。」と思われる方も多くおられると思います。
リトリートの意味は、「1.退却、撤退、後退 2.隠居、避難また隠れ家、避難所。仕事や日常生活を離れ、自分だけの時間に浸る場所等」だそうです。
マインドフルネスにおけるリトリートとは、日常生活から離れて、静かな環境で集中的にマインドフルネスの実践(静坐瞑想やボディスキャン、マインドフルな体を動きを伴った瞑想やヨーガ等)に取り組むためのプログラムです。
「年に1,2回はリトリートに参加するのが理想だ」と言われていますが、参加には、自分自身の体調や気力、仕事の調整、費用、周囲の人たちの理解が得られるか等、参加するためのハードルは低いとは言えません。
「年に一度は!」と思い、時間や環境を何とかをやりくりし、デジタル漬けになっている日常生活からログオフします。
リトリートの大部分の時間は沈黙(in silence)の中で行われます。(もちろん、必要なことや体調の変化などについては、ファシリテーターや指導者に相談できます。)1日のスケジュールが決められており、朝早くから夕方まで、いろいろな瞑想をできる限り切れ目なく行い、自分自身を感じ、探索します。
パンデミック以降は、従来の滞在型・合宿型プログラムだけでなく、自宅でもオンラインで受けられるようなリトリートもずいぶん増えてきました。スケジュールには、法話(ダルマトーク)や瞑想に対する質問できる時間が設けられています。
リトリートには、主催しているところにより特徴があります。
場所は、静かで自然の豊かな場所が選ばれているようです。期間も宿泊を伴わない半日、一日(MBSRの中の終日リトリート等(約6時間~8時間)のリトリート、宿泊を伴うリトリートがあります。
オンラインのリトリートでは、自分の住んでいる場所がリトリートセンターになり、日常の生活そのものをマインドフルに行います。
接心
日本の仏教の伝統の中には、主に禅宗(曹洞宗や臨済宗)ですが、「接心」(摂心)というものがあります。
「接心」の意味は、「①心が外界の事物に触れて感ずること②仏語。ア、精神を集中し乱さないこと、イ、禅門で一定の期間、座禅をすること」だそうです。
接心が、定期的に行われている寺院や仏教関係施設はたくさんあります。宿泊施設を持っている寺院もあれば、近くの宿の宿泊して通う場合もあります。多くは、静かで自然の豊かな場所が多いです。期間は一般的には一週間前後が多いようですが、何度も通っているとお寺の指導者と相談して決められる方もいます。
最近は、体験したいという方が多いようで、だいたいホームページに日程や費用、接心におけるルールなどの説明が載せられています。お寺に集合後、説明を受けたり、ビデオで学習したりすることもあります。
日常生活のすべてが修行の対象になります。修行なので、観光や旅行とは違います。快適な環境を求めすぎず、修行の場として受け止め、自分を探索してみるとよいかもしれません。
私が参加させていただいた摂心は、期間は、4泊5日(自由に決めることができました)でした。一炷(いっちゅう、お線香が1本燃え尽きるまでの時間を言い、30分から45分)の坐禅を一日に8~10炷程度、提唱(ダルマトーク)、独参(坐禅の中で感じたこと、疑問に思ったこと、その日の様子を話し合うことで正しい修行の方向性や工夫を確認する機会等)、各時間の食事、経行(きんひん、歩く瞑想)等が組まれていました。
独参では、老師に足の痛さ、眠気への対応から坐禅中に感じた疑問や自分の状態などを聞いていただいたり、アドバイスを受けたりして安心して取り組めました。また、寺院や施設の簡単なお掃除や農作業の作務として組み込まれていることもありました。
例えば、曹洞宗永平寺では、日帰りの参禅体験(坐禅)や一泊二日の参禅体験も行っています。接心を受ける場所は、神聖な場所であり、多くの方の善意やご厚意で運営維持されているところもあります。修行させていただくという謙虚な気持ちを忘れないでいたいものです。
まだ何日も不安だと思われる方は、リトリートにしても接心にしても、少しずつ無理のない範囲で体験していかれるのがよいと思います。
何がいいんだろう? 何の役に立つのだろう?
これは、一人ひとりの体験によるので、様々な意見があると思います。
多くの人にとって、日常生活は時間に追われています。仕事や、家庭生活に縛られ、様々な人と接触し、ソーシャルネットワークツールを使い私たちは、社会生活を営んでいます。コミュニケーションツールの発達によって、便利になった一方で24時間、開放されることのない生活です。意識的に携帯を見ない時間を設けたり、甘いものを食べたり、お酒を飲んだり、友達と話したり、ショッピングで衝動買いをしてみたり、旅行に行ったりと様々なストレス発散を試み、何とか生活を続けています。
「doing=すること」ばかりに気を取られがちな日常生活。
けれども、ふとした時に、「自分って何しているんだろう?」とか「何のために生きているんだろう?」、「人間って何なんだろう?」、「私ってこのままでいいのかしら?」などの疑問が頭をよぎることもあります。
そして、多くの場合は「そんなこと考えても答えは出ない。時間の無駄だ。」となんとなく自分を紛らわせて、何とか生きています。
そんなことの積み重ねも、ある時、リトリートや摂心に興味を持つきっかけになるでしょう。
また、生きているとどんな人にも例外なく、何らかの試練が訪れます。「マインドフルネスストレス低減法」のジョンカバットジンさんは、本の題名を「Full Catastrophe Living」(破滅だらけの人生、厄介事だらけの人生)とつけられています。様々な人間関係、仕事、病気、時間に追われること、加齢等、生きている限りストレス(苦)があります。
人に相談したり、本を読んで勉強したり、インターネットで検索すれば多くの対処法が出てくるかもしれません。もちろんそれで解決すればとても素晴らしいことです。
けれどももし、直感的に何か別の方法があるのではないか…?と感じたら…?
そんな時に、一度人生から避難して、暁とともに起きだし、日が沈むとともに一日を終える。
ほんとうに今の自分が何を感じ、何を思い、考え、何をうれしいと感じ、何を悲しいと感じ、何を憤っているのか、 そして、本当はどうしたいのか?自分を支えてくれているこのものを言わない身体は、どんな声を発しているのだろうか?を静かに感じてみる体験。
何もしないで、ただそこに存在してみて(being)、探索してみる方法…。
自分にそれを聞いてあげる体験、時には、自分に猶予を与えてあげて、心と身体に静かに、優しく問いかけてあげる体験はとても貴重だと思います。「優しく」と言うと多くの人が「そんなのは、自分を甘えさせるだけじゃない。」と思われるかもしれません。
けれども、もし、自分自身ににあなたが投げかける言葉を友人に言ったら、どうなるでしょうか?多分、友人は去っていくのではないでしょうか?それほど、多くの人は自分自身に厳しい言葉をずっとかけてきています。
「ばか!、そんなこともできないのか!、弱虫!、自分のことも自分でできないの?、情けない!等々」
優しく心に接してあげると、硬く委縮していた心があなたに何かを語りかけるかもしれません。
日本の伝統の中には、「自分を静かな環境において、自分自身を見つめる文化」がありました。
(もちろん、その方法が合う人も合わない人もいますし、ほかに幸せになる方法もいろいろとあると思います。)
もしよければ、リトリートや接心を体験してみませんか?
それは、古来からある人生を生き抜くための一つの「知恵」だと思います。
もしかしたら、みなさんお一人お一人の体験から、生きていくための貴重な宝物が見つかるかもしれません。
若葉が美しく、気候も穏やかなこの季節。
「Ruby in your mind!」