同行二人(どうぎょうににん)

「同行二人」とは四国お遍路で、巡礼者が使う金剛杖に書かれた言葉である。遍路中の様々な困難な経験時に常に弘法大師空海様が常に自分といて助け導いて下さるとの意味である。
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逃げるか、戦うか、フリーズするか

 パンデミック前に医師から「白内障が始まっていますね。」と告げられていましたが、特に不自由は感じなかったのでそのままにしていました。
 けれども最近視力が落ちてきたことや視野が白っぽく感じていたこと、そして、最後のきっかけはお遍路に行ったときに眼鏡を失くしてしまったこともあり、とうとう眼科へ行きました。

 「左目は白内障が進んでおり、手術した方がよいでしょう。」と言われ驚きました。

 「なんで私が?まだそんな年でもないのに…。何が悪かったのか?You-Tubeを見すぎたのだろうか?山歩きなどで紫外線に当たりすぎたのだろうか?」など私の頭の中はグルグルと混乱していました。他院でセカンドオピニオンも聞きましたが、同じ診断だったので、あきらめて(!?)約一月後に手術することにしました。

 私の周りには経験者がおり、ほとんどの人は、「麻酔は目薬だけだし、手術もずっとライトを見ていたら終わったよ。痛さは感じなかった。そのあとの目薬をきちんとさしておけば大丈夫。」と90%は肯定的な意見でした。
 けれども1割ぐらいの人は、「手術中に痛かったから医師に痛い!って叫んだ。」や「目薬をきちんとさしていたのに感染して大変なことになった。」という人もいました。

 日々のマインドフルネス瞑想時に、私の中で白内障手術に関しての思い・考えや感情、それに伴う身体感覚が浮かんできます。「手術中に麻酔が効かなかったらどうしよう!レンズがうまく入らなくて、失敗したらどうしよう(先生、ごめんなさい。)」など破局的な考えも浮かんでは消えていきます。

 さらに、「怖いなあ、白内障にならない人もいるのに…、悲しい、悔しい…。」などの感情や、手術を想像すると喉が詰まった感覚や胸のあたりが使えたような感覚が起こっていました。

 また「安全が確立された手術なんだから心配しすぎるのはやめよう。」「でも、意識がある中、自分の目にメスを入れられるなんて…。怖いものは怖いよね、それはみんなそうだわ。」と頭の中はグルグルとまわっています。

「怖い、手術やめたい!」と正直、思いました。FF反応です…。

 けれどもとうとう手術当日になりました。

 手術日、もう逃げられない、どうしようもなくなったその日、左目に注意を向けて瞑想していました。
 すると、「右目よりさきに左目が白内障になるなんて…。左目は、視力の悪い右目の分も今までいっしょうけんめいにカバーしてくれてたんだなあ…。お疲れさま。ありがとう。
 私は、手術は怖いと感じているけれど、今まで帝王切開も経験している、がんの手術も経験している、足の親指の手術もした…。
 それらすべての経験を私の身体はいっしょに乗り切ってくれた。」そんな思いが現れました。
 
 すると、目のあたりがサァーッと暖かくなり、そして、「私の人生を一緒に伴走してくれたこの身体。大変だったね。ほんとうにありがとう。」と感謝の念がわいてきました。
 イメージで左目を優しく両手で包み、優しく暖かい感謝の気持ちを伝えました。

「今まで本当にありがとう。左目さん。」

 そしてそれを身体全体に広げていきました。すると、恐怖でガチガチに縛られていた私と私の思いや考えの間にフッとスペースができて、なんだか自由になった感じがしました。

 すると不思議なことに「今までの私の経験すべてを使って対応してみよう!」という考えが現れました。

 そう、それはジョンカバットジンさんの言う「どんな状況にあっても、思うようにならない、あるいはコントロールできるできないにかかわらず、自分の体験と思考と感情を、自分を癒すために活用して、”やっかいごとだらけの人生”に正面から向き合っていく方法でした。(「マインドフルネスストレス低減法」 J.カバットジン 春木豊訳 北大路書房 pp.16より抜粋)

身体からの声

 いよいよ私の前の患者さんが手術を終えて出てきました。

 ドキドキします。「怖いね。でももしよかったら、今までいろいろなプラクティスを練習してきたから、ちょっとチャレンジして使ってみよう。」と自分自身に優しく伝えました。
 呼吸を感じながら、足の裏の感覚に注意を向けます。「汗なのか…湿った感覚、のっぺりとした冷たいスリッパの表面…。」

「手術室のお入りください。」

 手術台に座ると椅子が倒されます。左目の消毒後、ペタッペタッと目の周りにテープを張られました。いよいよ手術の開始です。医師の指示に従い、ライトを見ていました。次に何をするか、どうしたらよいかについて的確な指示をしてくれるので、自分の意識をそれに向けていました。

 途中で、「今から、ライトが動く感じがしますが、今見ているところをボッーと見ていてください。」と言われたのですが、目に映っているライトが渦巻のようにグルグルと回ります。

 見ていないとけないところがわからなくなり、「どうしよう!」とパニックになりかけましたが、「大丈夫、呼吸に注意を向けて、呼吸していたら私はちゃんと生きている!大丈夫!」と自分に声をかけました。

 すると、頭の働きではなく、身体全体から「大丈夫。私が支えているから、いっしょにいるから。」という声が涌いてきました。

 不思議な感覚でした。

 

同行二人(どうぎょうににん)

 今日は手術後5日目です。昨日はゆっくりとお風呂につかりました。ほとんど左目の違和感は無くなってきています。視力も出てきており、とてもクリヤーに世界が見えてきています。


 大げさではなく、「世界はこんなにきれいだったんだ!また、こんなに見えるようになった。」と喜びと感謝を身体全体で感じています。

 思い返せば、お遍路のときに眼鏡をなくしたのが、今回の手術のきっかけでした。もしかしたら、空海様やご先祖様が「眼科に行きなさいよ。」と言ってくれたのかもしれません。スピリチュアルすぎるかなぁ?

 そして、手術中のあの不思議な感覚、身体全体から湧きあがった自分自身への全力応援、励まし、暖かいサポート…。

 あれはなんだったのでしょう?

 まるで、細胞の一つ一つが繋がり、そしてその一つ一つの細胞から湧きあがってくるような感覚、やさしく語り掛けるような声…。

 私であって、ふだん私として意識していない、意識できないもの…、でもずっといっしょにともに在り、生きてきたもの…。

 ふだんは沈黙しているけれど、でも確かに私を守ってくれているもの…。

 ふと、「同行二人」(どうぎょうににん)というお遍路のときに持っていた金剛杖に書いてある言葉を思い出しました。
 「同行二人」の意味は、お遍路の中で、どんな時も自分といつもいっしょにいて、導いてくれるお大師様と自分を表すと言われています。

 「私は、いつもいっしょにいる何か、だれかに守られている」という感覚。

 もしかしたら、それは、ふだん私が私と意識しているものとは違うもの、私を守ってくれている何か大切なものが私の身体に秘められているのかもしれない。
 そんなことを感じました。

 このブログを読んでくださっている皆さん、もしよければ、マインドフルネス瞑想で身体の感覚に開かれ、自分自身を癒していく…。そんな可能性を試してみませんか?

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